2008年02月11日

幸せのお日様

 今日は、僕が小学生だった頃、父によく連れていってもらった食堂へ、家族で行きました。何かあるごとに連れていってもらいました。

 あれから30年以上経つというのに、今だに当時の面影を残し、営業しています。中へ入ると懐かしさが込み上げて来ました。今は僕が父となり、家族を連れて来ているのです。


 当時と同じようにお座敷に座りました。お日様がぽかぽかと差し込む暖かい場所でした。今は建物が邪魔して見えませんが、昔は白山と潟が見えました。

 ここへ来ると食べるものは決まっていました。
 卵丼うどんです。大好きでした。


 今日も同じメニューを注文してみました。
 食べてみると、味は当時のままです。砂糖醤油の甘い味付け。子供が好みそうな味です。
 一口食べるごとに、その当時のことがよみがえって来ました。ここに父が座り、母がいて、弟が隣に・・・懐かしさとおいしさで心が暖かくなりました。

 妻や息子が食べている様子を見ていると、心がさらに暖かくなります。父も多分そんな気持ちで僕たちのことを見ていたのでしょう。

  この当時、父はブルドーザーの運転手をしていました。若い頃、お金で苦労した父。現金収入が最も得られる仕事として選んだのでしょう。お金にもゆとりができ、自家用車を持ち、遠いこの食堂まで、よく連れていってくれました。

 暖かいお日様と思い出の味で、幸せな気持ちになりました。
 父も今の僕のように幸せのお日様を浴びていたのでしょう。

 

最後に、この当時の父の詩を掲載します。

運転手

キャタピラに片足を掛けて
大きな反動をつけてよじのぼるのがくせであった
霜が眩しかった
運転台が高すぎた

動くまでは冷たい巨大なただの鉄だった
がエンジンがかかると男は血の色を取り戻した
鉄が力になった
   徳川時代
   一揆があった
   莚旗が流れて
   鎌や鍬がぎらぎら束になった
   怒涛のような力になった

排土板をさげる
排気音がつんざき機体が地響を立てた
その音は
もろもろの音であった
小気味がよかった
山も谷もなかった
真直ぐに進んだ
古い墓場が崩れ落ちるのが見えた

拓かれたところは見渡すかぎり新しい土であった
そこには血の境界も
力への憤りもなかった
だだっぴろい涙の出るような平原であった
男はまるでここが見慣れたふるさとの風景でもあるかのように
無性に口笛が吹きたかった

─────────────────────────―――
〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・×
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
─────────────────────────―――

posted by ムッシュ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉は言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月09日

後姿

 いま振り返れば、父母も、人間としての未熟さを抱え、成長の道を歩み続けていたのだと思います。しかし、親だからといって、子供の前で完璧である必要はありません。未熟な一人の人間として、成長を求め、一生懸命に生きる姿を見せてくれた。その生き方の大切さを、後姿を通じて教えてくれました。(田坂広志 シンクタンク・ソフィアバンク代表)

  僕も父となり、今の年になってわかること。それは、いくつになっても、未熟だということ。不器用だということ。40歳を超えれば落ち着くかなと思っていたのですが、まだまだ迷い、失敗します。しかし、だからこそ、成長できる。

  そんな自分が一生懸命生きる姿。後姿を見せることが大切だと思います。不器用ながら成長していく姿。生きる姿。

  僕の父も一生懸命生きていました。朝は田んぼの水を見回り、その後仕事へ。ブルドーザーの運転をしてました。その後、家に帰り、鶏の世話。養鶏場もやっていたのです。1000羽近くの鶏がいました。そして、俳句を作る。今考えると超人的な働き振りです。家族を守るため、現金収入が入る仕事を一生懸命やり続けた父。そして自分を育てるため俳句を作り続けた父。そんな一生懸命な生活をしていました。
 今の僕にはその父の後姿が大きく見えます。

 日々、成長していきたいです。またそんな姿を僕も子供達にも伝えたいです。─────────────────────────―――
〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・×
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
─────────────────────────―――

posted by ムッシュ at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉は言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月06日

文学青年

ピンポンの外れ春光射てまぶし
バス過ぎて春光窓を歪み越す
麦笛を吐き捨て別離甦へる
胃薬まだ舌に残りて花菜風

「芦」 5月 no.25 昭和24年5月発行より

  父は昔、文学青年でした。これは父が18歳ごろに作った俳句です。
その当時、父は高校を出たばかり。高校時代は高校俳句会に所属し、町のお医者さんに俳句の指導を受けていたそうです。

 その病院には、病人に混じって、俳句の指導を受ける人も多くいて、それはそれは賑わしい雰囲気だったそうです。多くの年代の人が集い、その中でも若い父は大変かわいがってもらったとうれしそうに語ってくれました。
 父はその当時、俳句を全国誌の俳句雑誌に投稿したり、同人誌に載せたりと活発な活動をしています。

  父のこういう過去を見ていると、僕もとてもよくにた事をしていることに気づきました。
  僕も高校や大学時代には、よくマンガを書き、雑誌に応募したり、漫画同人誌を作っていたのです。
  僕は漫画青年でした。
その当時、自分の描いた絵が雑誌に載るかどうか、毎月わくわくしたものです。
  仲間とともにわいわい言いながらマンガを描き、同人誌を作りました。楽しかったなあ。

 父も多分その当時、そんな楽しさを味わっていたのでしょう。
 父を見て、自分が見えます。同じ血が流れ、同じようなことをしている自分。そして父の人生を追うことで見えてくるものがあります。少しずつ少しずつ見えてきます。
 これからも父の人生を少しずつ旅して行きたいと思っています。
─────────────────────────―――
〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・○
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
─────────────────────────―――

posted by ムッシュ at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉は言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月02日

ひかり

僕が生まれたとき、父が作った詩です。

ひかり

その夜爽け
若葉のひかりのなかから産まれたので
てっきり神さまの落し児かと
おどろいた

俺が覗き込んでいるうちに
お前の瞳の中で
不思議もなく太陽がかがやきはじめた
それからは
天へ支えて
高く仰向く位置で抱いてやると
とおい
青嶺の空を見る瞳が
しっかりと決まった

お前は意志のつよい男になるだろう

若葉のひかりのなかから産まれたので
それからも
いつも仰向く位置に抱いた

 この詩は、僕が生まれた翌年に、父が市の文芸誌に投稿し、掲載されたものです。僕が小学生の時、学校の先生から君のことを書いた詩だよ」と読んでもらいました。みんなの前で読まれたせいもあり、そのときは恥ずかしかっただけですが、今となっては、本当にすばらしい贈物をもらったなあと思います。
 言葉は残ります。気持ちとともに残ります。物と違って、言霊の輝きは、年を経るごとに、増してきます。すばらしいプレゼントです。

posted by ムッシュ at 18:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 言葉は言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月28日

人生の中で大切なもの

  父は今、認知症で、病院のベッドで寝ています。ほとんどの記憶が消えた中、昔のことは良く覚えています。その記憶の中で,父が生き生きとした笑顔で、何度も話すことがあります。

  それは、父が二十そこそこの頃、この地域で立身中の偉人と言われ、日本全国にも名が知られているような方を呼び、講演会を開いたということ。

  僕の住んでいるところは今でこそ交通の便がよくなり山奥といった感じでは在りませんが,父の20代の頃は、それこそ山の奥の奥・秘境という所であったろうと思います。そんな場所にとてもではありませんが、来てくれる人ではありませんでした。しかし、父は誠意を持ってお願いに行き、了解を得、しかもその講演会を大成功させたのです。

  その時の父の応対はすばらしかったらしく、ある方が、当時の父のことを次のように新聞に書いています。
「当日のO君のことを先生も激賞されて、あんな青年が日本の隅々にいる限り国の将来は決して案ずることはないと云っておられた。翌朝早く先生は私の宅へ来られ、一枚の色紙を出してO君に渡してほしいと云うことであった。その色紙の文字は「忠恕」であったと記憶している。O君も大いに感激して自分の山から「自然薯とわさび」を掘ってお礼に行ったそうである。」

  今だに、その当時のことをこと細かに、何度も何度もうれしそうな笑顔で話してくれます。それは多分、父の人生の中で、光輝く宝石のような思い出となっているのでしょう。それは、生きる自信。生きる支えとなって今も残っているのです。
 そんな父を見ていると、大切なことは物ではないこと。心が大きく揺れ動く、感動、自信、そんな思い出を作ることが、とても大切なことだと思えます。

 僕が父のような状態になったとき、どんなことを語るでしょう。自分自身の生きる自信。支え。そんなものを積み重ねることが大切なことであることを、父から教えてもらっています。
─────────────────────────
〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・○
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
─────────────────────────

posted by ムッシュ at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉は言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

父の本の出版目指して

 父が一途に取り組んで書いた詩や俳句をまとめ、一冊の本にしたいと思っています。父が、生涯一途に取り組んだ文学を通して、父を見てみたいと思っています。そのことが、父の真の理解につながると思っているのです。

  本の題名は「言葉は言霊」。今は認知症となり、記憶も途切れていますが,父の書いた文は、生き生きと今もなお僕に語りかけてくれます。言葉には、その時の父の魂が宿っているのです。その父の魂を一冊の本にし、後の世にずっと残してあげたいのです。そうすることで、父は生き続けることができます。

 本の出版目指して、このブログで少しずつ父の書いたものを載せていきたいと思っています。「言葉は言霊」というカテゴリーで書きためていきます。父の作品。そして、そこから受けた僕の思いという感じで。少しずつ少しずつ積み重ねていきます。できる範囲で、少しずつ。そうやって一冊の本にしていきたいと思っています。どうぞ、お付き合いください。

晩春

花粉をこめた夜の微風と 陶酔

再び出会ったあなたとは
過去の日々は話さなかった

息づく星の
ため息にも似た想い出のアルバムには
そっとリボンをかけておこう

純白のテーブルクロスにうつる
あなたのかげと
コーヒーカップを傾ける手のかげと-

いたわるような寡黙のなかを
晩春の夜は
かすかに匂っている

 昭和32年。父が26歳のときの詩です。母と結婚する前、父には付き合っている人がいました。しかし、ある事情で別れなければならなかったということがあったそうです。子供のころ、母が「お父さんには、前に結婚をしようと思っている人がいた」と悔しそうに僕に話していたのを思い出します。
 父にも、熱くときめくような恋愛があったのでしょう。だからこそ生まれた悲しい別れの詩です。

posted by ムッシュ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉は言霊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする